読書感想文 「だれのための仕事」鷲田清一著 [読書]
だれのための仕事――労働vs余暇を超えて (講談社学術文庫)
- 作者: 鷲田 清一
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/12/13
- メディア: 文庫
自分の商売が何を売りとしているかを知ることが大事。 [仕事]
「クリエイティブは自分の中からしか生まれない」 [デザイン]
大阪デザインセンターのデザインビジネス塾を聴講した雑感を少々。
デザインは徹底して「人」に注目するものだと考えます。
どんなプロダクトにも空間にもそこには必ず使う人や作る人や通りがかる人など
多くの人々がいます。デザインではそんな人々をどれだけ意識できるかが問われるんじゃないでしょうか。
そんなデザインで最初に意識すべき「人」は自分自身でしょう。
講師の一人は「クリエイティブは自分の中からしか生まれない」とおっしゃいました。
自分がどのように世界を見ていて、何をすることが楽しいかを考え、そして何に気づくか。この気付きがクリエイティブそのものなんじゃないでしょうか。
今期のデザイン塾のテーマは「ソリューションの技法」。
ソリューションは問題発見/設定が全体の8割を占めます。
この問題設定を自分の言葉で表現できれば、それはすでにクリエイティブを生み出しています。しかしこれがネットや雑誌での表現と同じだと劣化コピーしか作れません。
世界の諸問題に対して新しいソリューションを提案するには
問題を自分の言葉で表現すること。
そのためには
自分がどのように世界を見ているか。
自分は何に心惹かれるのか。
そこから自分が何に気がついたのか。
これらを意識して日々生活し、より多くの人が自分自身に気がつくことによって
世界を少しづつ良くしていけると思いました。
オタクが臭いことを正当化してみる! [雑感]
私はオタクである。
ここで言うオタクはリア充がアピールに用いるものではない。
社会常識からずれ、同じような服装で群れ、世間から冷たい視線と嘲笑をあびながらも
デュフフフフと笑っているようなあいつらだ。
オタクは自意識が高いし、自分では何も作らないし、文句ばかり言う。
だからオタクは嫌われる。
一方でオタクは興味を持ったものを消費し尽くす。
興味対象を喰らい骨をしゃぶり粉々にして成形し直し、
それにありもしない幻想を持ち再生産しつづけまた喰らう。
さらにクリエイターに精神的圧力をかけて無理矢理に働かせようとする。
世間が見向きもしないゴミのようなものにくっつき腐臭をあげながら熱を発し喜んでる。
生ゴミにくっついてるバクテリアや菌のような連中。
実際臭い人は多い・・・
しかし、だ。
オタクが多く自生する市場はコミュニティになる。
オタク同士で提供されたコンテンツを不必要に細かく分析し、文句をいい、
破綻した論理で論破し人の上に立って悦になってる。
はたから見れば嫌なコミュニティだが、
でもこれらがたま~にクリエイターの養分になることがある。
オタクも役に立っている。
そう、生態系に光合成をする生産者とそれを食う消費者がいるのなら、オタクは分解者なのだ。
これはオタクがいない大量消費市場とは大きく違う。
そこでは受け入れられなかったものはゴミのまま。
またブランディングで作られた熱心なファンというのもただ購入金額が大きいだけ。
そいつらが飽きたら購入したものはゴミになりもうそのまま。
しかもそのゴミは不燃ゴミで現実の環境負荷を大きくするだけ。
本当にゴミ、産業廃棄物。
そこで新しいクリエイターやアイデアが生まれることがない。
森を切り倒して砂漠化させてるようなもの。
でもオタクが自生してる市場は生ゴミが分解され腐葉土になり次の畑になるし森にもなる。
この違いは大きい。
現実にバクテリアや菌がいなければ私たちは生きていけない。
バクテリアや菌だって大事なんだ。
だからオタクは胸を張っていいと思う。
胸を張って好きなものに執着し腐臭を放てばいいと思う。
そう、だから俺が臭いことは悪くない!!
ラーメン感想 大阪・道頓堀 「ひげ坊主」 [ラーメン]
ラーメン感想 京都「猪一」 [ラーメン]
読書感想文 「責任という虚構」著:小坂井敏晶 [読書]
iPhone5SからみるAppleのイノベーション [テクノロジー]
婚姻の減少とクレーマーと社会の商品化 [雑感]
婚姻の減少とクレーマーの増加は、同じ社会的な構造から生まれているんじゃないのか?
というのが今回の論旨です。
私は「女性の社会進出」という言葉に強く違和感を持っています。
これは女性が家庭の外で仕事をすることを指していますが、
では、家庭の内で育児などをしている女性は社会に参加していないのでしょうか?
この言葉は暗に「労働力を貨幣に変えないと社会に参加していない」と言っていると考えます。
もう少し言うと「社会参加するにはお金を払え」ということ。
以前(私が覚えている範囲で)は、社会参加するには手を貸せば十分でした。
直接に労働力を提供すれば社会参加できていました。
しかし、現在は労働力を貨幣に変えて商品化された社会を購入しないといけない。
そうなっているように感じています。
この社会の商品化が婚姻の減少やクレーマーの増加を生む社会的な構造だと考えます。
結婚は高額商品です。プロポーズの指輪からして給与の数カ月分などと刷り込まれています。
またクレーマーは、それが公共物でも、商品として払った貨幣に見合った満足を
得られるようにする合理的な行動の現れです。
問題は、これらの現象の原因と解決を個人の信念や思考に還元してしまうことです。
婚姻について、私なんかは草食系で情けないとレッテルを貼られます(泣。
クレーマーについても協調性が云々などと言われます。
しかし世の傾向としてこれらの現象が大きくなっているのならば、
その原因は個人ではなく社会的な構造に求められるべきです。
現在の経済は利益至上主義であり、あらゆる事物は商品化・細分化されバラ売りされます。
それと合わせ社会も個人に細分化され、自己責任や合理的行動を求められるようになります。
しかし上のような社会的な課題が生じたときは、原因を個人の責に帰するほかなくなりますが
このアプローチによって解決することはありません。
なぜなら個人の成立はその人の自由意思を認めることであり、アプローチと矛盾するからです。
現在の利益を至上とし全てを商品化する経済では、ますます社会的な課題が生まれてくるでしょう。
人の営みは社会や巷間で行われ、そこでは細分化され孤立できる事物は無いです。
そのような観点から、経済は経世済民の意味に移っていかないとマズいと思うのです。
投入一次エネルギーから日本の生産性を考えてみた。 [テクノロジー]
日本人は本当に生産性が低い仕事しかできていないのか?
このことについて投入された一次エネルギーを基準にして考えてみました。
一次エネルギーは生産に用いられるのと同時に、
私達の生活を支え労働力の再生産に用いられます。
なので
一次エネルギー ≒ 生産過程に必要な総資源
GNI ≒ 労賃
とみなして 生産性を考えます。
考えてみた結論は
「日本の生産過程は世界トップレベルの効率を有しているが、労賃は低く抑えられている」 です。
以下、試算です 。
試算に用いた数字は下のようなものです。
GNI | GDP | 消費一次エネルギ― | |
(一人あたり ドル) | (一人あたり ドル) | (一人あたり 石油換算 本) | |
日本 | 34,670 | 46,735.72 | 3.9 |
米 | 47,360 | 49,922.11 | 7.1 |
ドイツ | 37,650 | 41,512.75 | 4 |
<単位エネルギーあたりのGNP>
はじめにGNPと一人あたりの消費一次エネルギーの比をとり、国ごとに比較しました。
日本を1とすると、
アメリカ 0.58、
ドイツ 0.87、
と、なります。
同じエネルギーを用いた場合に日本が最も財とサービスを生み出せることとなります。
<単位エネルギーあたりGNP に対してのGNI>
次に各国のGNIと、上で出した単位エネルギーあたりGNPの比をとりました。
GNI ÷ 単位エネルギーあたりGNP を計算しました。
生産した財とサービスに対してどれほどの所得が生じているかを見ます。
日本を1とした時、
アメリカ 2.33
ドイツ 1.25
これより、同じ生産に対してアメリカでは日本より2.3倍、ドイツでは1.25倍の所得が生じています。
<結論>
以上より、
「日本は世界でトップクラスの生産性で財とサービスを生み出せている」
「生み出した財とサービスに対して、得られる所得は低い」
このように結論できると思います。
<その他>
このようなことを考えたきっかけは、
労働と生産の間にあるマネジメントの能力を測る方法を考えだすためです。
経営の方針に従って大きな工場を頑張って稼働させたのに、その工場が収益を圧迫した時、
頑張った人たちの生産性はマイナスになってしまします。
このような方法で「日本人は生産性ガー」と言われるのはちょっと釈然としないわけで・・・
安倍首相がGNIを15,000ドル上げるとおっしゃってられましたが、
それでもGNIと単位エネルギーあたりのGDPを比較するとアメリカの2/3程度です。
この試算が全く妥当なものだとは思っておりません。
何かの参考になれば幸いです。