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読書感想文 「責任という虚構」著:小坂井敏晶 [読書]


責任とは一体何か?

著者は一貫して「責任は因果律に基づかない社会的虚構だ」と主張します。

責任は客観的な事実ではないのか?

例えば交通事故の責任を客観的に特定しようとしても、その原因はドラーバーはもとより、

歩行者、自動車メーカー、信号機の設置などなど無限にもとめることができます。

責任は客観的に求めることができません。

では、なぜ私たちは責任を求め、また責任を求められるのか?

著者はその理由をポール・フォーコネを引用し言います。

「犯罪の代替物として適切だと判断され、この犯罪に対する罰を引き受ける存在が

責任者として認められる」。


犯罪の原因ではなくて代替物、すなわち社会が納得することが大事だと言う訳です。





ではそのような虚構はいけないのかというとそうではなく、

著者は私たちは虚構が無いと生きていけないとします。

それはなぜかということをジョン・ロールズの正義論を批判しつつ論じます。

正義論の以下の部分を批判します。

・能力の高い者はその能力を社会の最底辺の人々のために役立てないといけない。

・そのモチベーションの為にある程度の貧富の格差を是認する。

さらに正義論から下記を引用をしています。

「最も恵まれない状況に置かれる人間が他者より劣ると考える必要は無い。

一般に同意された公共原理によって、彼らの自尊心は保証される。

自分と他者とを分ける絶対的または相対的な格差は、他のタイプの

社会に置ける格差に比べれば甘受しやすいはずだ」。

ロールズは社会の秩序を虚構ではなく「一般に同意された公共原理」、

すなわち能力の優劣によって記述しようとします。


著者はこのような「公正な」社会は地獄だといいます。

著者の言から引用します。

「最下層に生きる人間にもはや逃げ道は無い〜

自分が貧困なのはまさしく自分自身の資質や能力が他の人より劣るからに他ならない。

社会にある貧富の格差は正当であり、差別や社会的制度に欠陥が有る訳ではない。

恨むなら自分自身の無能を恨むしか無い」。

ロールズの世界は

「不幸はすべて彼の能力や出自に原因があるが、それは仕方の無いことで諦めたらいい。

能力を持つ人が最低限の生活の面倒をみるから」というもので何ともおぞましい。


正義論では能力の優劣という原因が先にあり、その結果として

格差が生まれているように見えますが、それは違う。

先に貧富の格差があり、その理由を能力に優劣で語っています。

結果の説明に都合がいい原因を作り出し正当化しています。

この論法は現前しているあらゆる不平等、不具合、不正をすべて個人の優劣に転嫁できます。

女性差別が有ったとしても、「あなた個人の能力がないから」と言うことができます。

まさに地獄です。




現在の「一般に同意された公共原理」は

お金を稼げる人が正義で、稼げない人は無駄・お荷物・コストと言った悪というものでしょう。

まぁ、実際に悪というと角がたつので「自己責任」と言うのですが、

これも「君が貧乏で報われないのは自分ががんばらないからだよ」といって

格差を正当化し社会を安心させる生け贄なのでしょう。



虚構のある世界、例えばボッブスのリヴァイアサン = 君主のモデルでは、

不平等や不正の原因を君主に求めることができ、言及によって虚構の改変と改善が可能です。

本書を読み、私たちの社会秩序も虚構なのだから、もっと良い虚構を導入できると考えるきっかけになります。

読みやすい本だと思いますよ。

責任という虚構

責任という虚構

  • 作者: 小坂井 敏晶
  • 出版社/メーカー: 東京大学出版会
  • 発売日: 2008/08
  • メディア: 単行本

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