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iPadが特別なわけ [デザイン]

いま、iPad2をいじくり倒しています。

初めは何に使っていいのかいまいちピンときませんでした。

ケイタイやスマホのように必要性をあまり感じないのです。

それは今も変わりません。

でも、触っていると楽しい。ほんとうに楽しい!

機能的にできることはラップトップに敵わないはずなのに、ラップトップより魅力的。

最近なぜ楽しいのかばかり考えているので、私なりの結論を記します。



なぜ、楽しいのか?

それは、「情報に触れている感覚を得ることができるから」だと考えます。

「情報を見る」「情報に接する」「情報を処理する」などではなく、触れる感覚。

iPad以前のコンピューターから得ることができる情報は

大体が「見る」「聞く」で処理しています。

例えば、WEBとのインタラクションが生じるとき、

人との間にはキーボードとポインティングデバイスが介在しています。

ポインティングデバイスを操作して、WEBが反応し情報を返してくれる。

当り前でした。

でも、iPadはこの介在者をとっぱらいました。

人はWEBに直接触れる事ができるようになったのです。

この意味はことのほか大きいと思います。

iPadをいじくり倒した後で、PCを操作すると、もどかしいのです。

瞬時に反応してくれますが隔靴掻痒なのです。

もちろん、iPadの処理はポインティングデバイスと同じものです。

画面に触る、そして即応する。

これだけで、触れているとの感覚を得ることができます。

ここまで来ると、錯覚ではなくてリアルです。




もしかすると、iPadのコンセプトはココにあるのかもしれない。

少なくとも開発の中で、この触れる感覚がとても大事にされているのが分かります。

この触れる感覚を得るのに大事なのが即応すること。

iPadはこの即応性が今までの電子機器の中で抜群なのです。

すべての機能、デザイン、スペックが、即応性の実現の為にあると言ってもいいです。


世の中にはiPadの成功の後に続けとiPadもどきがたくさんあります。

確かにマシンスペック的には遜色ありません。

でも、少し触ったらあとは続けて触ろうという気が起きません。

気持よくないからです。

Apple以外のメーカーは、人間の気持よさをあまり重視していないのかもしれません。





















タグ:iPad Apple
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「スマートデザイン」がわからない・・・・ [デザイン]

日経デザイン8月号の巻頭にスマートデザインの6つの目標が挙げられています。

すなわち、

目標1 使い方の多様性
目標2 使用価値の多様性
目標3 使い勝手の多様性
目標4 作り手の多様性
目標5 エネルギーの多様性
目標6 低い環境負荷

これ、難しいです。。。(泣)


大きくわからない点は下の2つです。
(1)スマートデザインはどんな価値を生み出すのか?
(2)デザイナーはマネタイズは考えなくていいのか?


まず、(1)について

上の6つの目標はスマートデザインの必要十分条件なのでしょうか?

言い換えると、

・6つの目標が達成されているデザインはスマートデザインである。

・同時に、スマートデザインであるならば6つの目標が達成されている。

この2つの文章が成り立つ関係であるかどうか?

この関係が成り立つのであれば、6つの目標だけ考えればいいです。

では次に、6つの目標は何のために達成する必要があるのか?の問が待ってます。

6つの目標を達成することによって、得ることができる価値があるはずです。

それはなにか?

何?

震災以降、日本の価値観が変わった。

それに答えるための6つの目標(=スマートデザイン)である、とありました。

どんな価値観に答える必要があるのでしょう?

そこが分からない。

なので、6つの目標が妥当かどうかも分からないのです。。。。



(2)マネタイズについて。

「新しい価値」を具現化することができた。と、しましょう。

その次に必要となるのは、その価値をお金に変えること。つまりマネタイズです。

具現化するにはお金がいります。

商業利用でも、公共物であろうと、ボランタリーであろうと。

利益を得る、得ないの問題ではありません。

具現化するには、人の力が入ります。

人の力を得るにはお金がいります。どんな形であろうとも。

せっかく新しい価値を具現化するめどが立ったのに、お金の面で実現不能ということもあります。

スマートデザインはマネタイズも含めた現実解である必要があるのでは?

デザイナーはマネタイズを考慮する必要はないのでしょうか?

お金のことは、エンジニアと品質と経営陣に丸投げでしょうか?

それでいいのか?

疑問なのです。




自身の不勉強を晒すことになっていますが、知ったかぶるよりずっといいです。

ご教授いただけると、非常にうれしいです。

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SONYのデザイン戦略への疑問 [デザイン]

地デジ化祭りが一段落したのを見計らって、テレビの買い換えを検討中です。

インテリアの一部になるものなので、見た目も重要。

ってことで、近所の電気屋さんへ品定めしに行きました。

検討対象に上ったのは、

SHARPのL5シリーズ と SONYのHX920シリーズ

検討要素は、外観デザイン、高速応答性能、WIFI、の順です。

そうしたら、SONYの「モノリシックデザイン」にズキュンと来ました。


55hx920.jpg



外観デザインは理屈を超えたところで感じてしまいますからどう仕様も無い(笑)

早速、お店の人に「おいくらですか?」と聞くと「スタンド別で〇〇円です」と。


えっ

スタンドって別売りなの?


この言葉を聞いたときに、SONYらしくないなぁと思いました。

これがSHARPだったら特に疑問も生じないのですが。。。




なぜ、らしくないと感じたか?

SONYは日本のメーカーの中で最も美しさにこだわるだからと思い込んでいるからです。

まぁ、その美意識ゆえにCDの録音時間を74分にしてみたり、

CELLのコアの数をコスト度外視で2の乗数にこだわってみたりと、なかなか面白いのですが。

でも、経済合理性だけで動くメーカーより遥かに楽しい。ワクワクさせてくれる起業です。

そのSONYが新たな美しさと、特徴と、インパクトを持った

「モノリシックデザイン」を創りだしたのに、それを強引にでも推し進めていかないなんて・・・



事情は推察できます。

スタンドとのセットのみの展開にすると、コストアップとその売価への転嫁は避けられません。

少しの価格差が、販売数に大きく影響することも必至です。

店頭での価格競争にさらされる営業の最前線から見たら、到底受け入れられないでしょう。

かといって、デザインを優先させ他の開発費を削りコストを下げることもできにくい。

最優先は絵作りであり、それを支えるパネルと画像処理LSIにはケタ違いの費用がかかります。

ネット対応も、HDD対応も、省エネ設計もどれも重要です。

企画担当者は他社に対抗するために、全部入りを提案し、

各開発セクションは、その道でのTOPを目指すべくリソースを要求する。

経営層はそれに優先順位をつけなければいけない。

ええ、手に取るように、分かりますとも!!



それでも、SONYにはデザインにセカンドプライオリティを付けて欲しいのです。

上にもかきましたが、優れたデザインは他のスペックとは違い、

直接人間の情動に働きかけることができます。

他のメーカーは、スペックと経済合理性に重きを置いているのに対し、

SONYは人間の情動に働きかけるプロダクトを、最高の技術力で支えてきたメーカー。

SONYの製品の一番大事なのはここではないでしょうか?



SONYがつまらなくなると、日本のメーカー全体がますますつまらなくなります。

わかりやすい合理性だけでは、人の心は捉えられないのに。






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その商品の一番大切なもの説明できますか? [デザイン]

デザインって行為は、

「一番大事なものは何か」

を突き詰めることに尽きるのではないか?

などと考えています。

加えるなら、

「一番大事なもの」を見つけ、あらゆる手段を用いて、それを最大化させる行為、

でしょうか。



なぜ、こんなことを考えているかというと、

実際、会社で情報端末を開発しているのですが各部隊がよく迷走するのが影響しています。

端末の形状や大きさ、色といった色・柄・形だけでなく

端末のスペックやUI、サービス体制、ネット連携、コンテンツ・・・ほぼすべての部隊が迷子です。

理由は簡単。

それぞれの部隊がそれぞれの価値を最大化させようと突っ走るからです(笑)

リソースは限られているのにそんな事やっていたら、

みんな中途半端で終わってしまいます。

大きな開発体制を敷いているところは大体そうじゃないでしょうか?

この商品の一番大事なものはなにかを見極め、

それを最大化させるためにすべての部隊を連携させるのが大事でしょうね。

でも、この「一番大事なもの」が不明のまま開発は進むのです・・・・・


こんなこと書いていたら、企画の人から

「一番初めに商品コンセプト作ってるぞ!!!」と怒られそうですが、

「コンセプト」は何をやるかの実行宣言であり、

「一番大事なもの」は何が関係性の中で一番の価値になるか。

確実にちがうとおもうのです。

「一番大事なもの」を最大化させるための「コンセプト」ができると強い商品ですね。




問題は、どこを注視すれば「一番大事なもの」を見極めることができるかですが、

私は「触れる人間との関係性の中」をみればできると考えます。

会社の都合だけをみてると、「会社にとって一番大事なもの」になり独りよがりです。

逆にお客様のことだけを見ていると、実現不可能な提案になる。

対象を見るのではなく、対象間の関係性をみる。これがポイントだと。

近江商人の「買い手よし、売り手よし、世間よし」ですね。




関係性に注目するので、そこから見つかる「一番大事なもの」は時々刻々変化するでしょうね。

こんな時代ですし。

しかし、一旦「一番大事なもの」を見出されたプロダクトは

洗練され、何時まで経ってもその価値が減ることはないです。

モノと使用者が一対一の関係であるキッコーマンの醤油ボトルはその代表ですね。



「一番大事なもの」を関係性の中から見極め、

作り手すべての意識をそこに共有し集中させることで

具体的な手段に落としこむ。

この流れが「デザイン」と呼ばれるものかもしれない。

色柄形を決めるのは最後の「作業」でしょうか・・・
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問題解決型とビジョン提案型 [デザイン]

問題解決型とビジョン提案型

これは千葉工大 山崎和彦先生の講義の中で使われた言葉です。

問題解決型の課題に取り組むと、製品のレベルは及第点までは上がるが「魅力」にはつながらない。

問題解決型の課題をこなしつつ、ビジョン提案型の課題に取り組むことで製品に「魅力」がつく。

この考え方は非常に応用が効くのであちこちで使ってます。(フレームワーク化してるのです)



よく使っているが「今の仕事は問題解決型かビジョン提案型か?」ととうこと。

これは「今の仕事は新しい価値を生み出しているか?」という問に同意です。



さて、残念なのが、この2つを混同して、うまく運用出来ていないケースが社内で多々あるのです。

よくある残念な運用は、将来のビジョンをつくろうという運動に対してコスト削減運動と同じ評価や運営を

されてしまうこと。これはもったいない。

コスト削減運動は典型的な問題解決型のアプローチです。

克服する課題は明確であり、数字で評価でき、PDCAを回して活動を推進する。

比較的取り組みやすいです。

評価する方も、結果が数字であり、プロセス管理も型どおりなので楽です。


ただ、このような運営と評価をビジョン提案型アプローチに適用すると、まったくもって効果は得られません。

数字で評価できない。課題が未知。比較対象もない。PDCA回せない。

基本的に問題の質が違うのですから、仕方ないですが、これを理解している偉い人が少ないのではと。

ビジョン提案型の課題。例えば、「我々は〇〇といった価値を最大化する必要がる」のような提言を出したとき、

偉い人から、「コストはいくら減るの?」「いくら儲かるの?」といったコメントしか出なかったら注意ですね。


会社の価値を高める活動は大きく2つ。

問題解決型とビジョン提案型

この2つは全く違う運動なので、混同してほしくないと、活動する方にも評価する方にも知っておいていただきたいです。
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デザインとデッサンと、それを必要としないデザイン [デザイン]

デザイナーにとって、絵を描くことは基本である。

同時に絵を描かないデザイン活動もある。

ちょっと疑問になったので考えてみました。

以下考察。



広辞苑によると

デザイン = 意匠計画。

意匠とはなにか。

広辞苑を使って因数分解していくと

「意匠」 → 「意を匠する」 → 「思考活動全般を形ある物に落としこむ」

と、なりました。

この定義からすると、最終的には形ある物にするのだから、デザイナーが絵を描くのは当然ですね。


次に英英辞典でdesignを引いてみましたところ、

"the general arrangement of the different parts of something
that is made, such as a building, book, machine, etc"

これを大雑把に解釈すると、

「要素と要素の間に関連性を見つけて、整合性をとる」

ということではないでしょうか。

日本語の「意匠」とはだいぶ意味が違ってきました。


佐藤可士和さんの超整理術で、クライアントの問題を解決するには「情報の整理」が必要という下りがありました。これは、先の整合性をとるとほぼ同意だと思われます。

すなわち、

デザイン → 問題解決

と、考えることもできます。

はて?



ここで仮説。

「デザインとは、関係性を見出し、整理すること」

ではないか?

プロダクトデザインであれば、機能と形状の関係性を見出す。

グラフィックデザインであれば、色彩と人間の認知機能の関係性を見出す。

ランドスケープデザインであれば、人間と人間と局所の空間と周囲の空間との関係性を見出す。

もっと要素は複雑に絡み合っているでしょう。


あれ、でもこれって、人間のごくごく基本的な認知機能だったような・・・あれ?

つづく。

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わたしが出会ったすごいデザイナー 間宮尊 [デザイン]

3月11日の大震災

多くの人間が、その価値観を大きく揺さぶられたと思います。

わたしもです。

デザインや、テクノロジーで何かできなかと考えながら具体的にはいい行動に至らなかったです。

そんなわたしの前に、鮮やかでシンプルな回答を示したくれたデザイナーがいます。

間宮尊

氏が提案するLife Light プロジェクトがそれです。


間宮氏の何がすごいかというと、いろいろすごいのです。


・デザインの力
 
 提案しているLife Lightはかなりシンプルです。シンプルすぎて安全品質に疑問の余地があるのですが
  
 そんなモノを吹き飛ばす強いメッセージ性とコンセプトを持っています。

・情熱
 
 直接お会いし、挨拶を交わしたときは、礼儀を知っている大学生ぐらいの印象でした。

 しかし震災に対してどう思われているか、何が出来るかということを突っ込んで聴くと

 その言葉の端々から伝わってくる熱、情熱が尋常ではない。


・行動力
 
 貪欲です。利用出来るものは何でも利用します。

 自分のプロジェクトが少しでも震災に対して役に立つのならば、どんどん行動します。
 
 被災地に直接行きます。大学で講義までするというのだからすごい。



わたしが何も出来ていないとは思っていないません。

震災があろうと何があろうと、働くべき人間はそこできっちり働くべきですし、わたしもそうしました。


ただ、間宮氏のように「自分ができることと、震災復興と、デザイン」を見事に融合させた解を提示されると

一言 「すごい、やられた」 としか言えないのです。


もう一つこのデザインが優れているのは、人を巻き込む力が凄まじいこと。

わたしも巻き込まれました。

WEBやTwitterで活動を報告している程度なのですが、Life Light のデザインを一目見て

「これはすごいし、行ける!」と確信させてしまうのですごい。

実際に、間宮氏が声高にメンバーを募集しなくても、このデザインを見ただけで

実に多くの学生さんや、企業が賛同しています。

すごいですよ。



おそらく、かくかくじかじか、いろいろ計算されたデザインではないです。

しかし、震災を目の当たりにし、さっとこれだけのデザインをしてしまうのですから

間宮尊はすごいデザイナーだと思います。

あ、ちなみにまだ美大に在籍している20歳前後の方です。

すごいでしょ?
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デザイナーの絵を描く力のすごさ [デザイン]

私は自称エンジニア。絵はかけません。

私はデザイナーじゃありません。絵がかけないのです。

入社当時、同期のデザイナーに

「プロダクトデザインをするためにはどうしたらいい?」

ときいたら、「絵がかけることが一番だね」と即答されて、意気消沈したことがありました。



それから10年ほどたってますが、ネットワーク上のサービスを考えるのであれば

絵がかけることが全てではない!!とうそぶいていたのですが、

EXILIM EX-TR100 

見て、「やっぱり絵がかけるのってすごい!・・・・」と思い知らされました。


とあるメーカーのデザイン課課長の美大生に対する言葉ですが、

「卒業制作は見せていただきますが、はっきり言って甲乙つけることはできません!」

と、言い切ってられました。

確かに、この時代になれば、すべてアナログで線を引くことは無いのでしょうね。

CADもフォトショもイラストレーターもグリグリ使って、きれいな絵の出来上がり。

確かにこれでは、甲乙つけることなどできません。



私が日経エレクトロニクス5−30号でみた

カシオ計算機のデザイン室 長山洋介氏のイラストの山(ごく一部)はすごい。

何に感心したかというと、絵を描くことによって、デザインによる機能性というものが

はっきりと整理され結実していく様が読み取れることに感心しました。

てっきりデザイナーの人々って、感覚的、直感的な思考形態を持っているのかと思いきや、

長山氏は非常に論理的。

誌上のインタビューでも、ここではこのようなことを、この時点ではあんな事を考えて。。。と

言った具合に、ちゃんと整然とご自身の思考をトレースしている。

コンピューターで書き綴った絵だとこうは行かないのではないでしょうか。

やはり、自分の手で描いて、目で見て、脳みそにフィードバックをし、また書いて・・・を

繰り返してこそ、思考の発展にもなるし、記憶にも残るし、トレースもできる。

絵を描いて、描いて、描いて・・・と絵を積み重ねることで、問題がはっきりし、課題がうまれ

また、次の解決策に向けての道筋がわかる。

プロのデザイナーのにとって絵を書くというのは思考するのと同義かそれ以上の効果があるのか。

デザイナーの方々にとっては当たり前なのでしょうが、私のようなソフトウェアエンジニアには

ちょっと驚きでした。
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私、エンジニアがデザイン勉強するのは有益だと思う。 [デザイン]

私がデザインに興味を持ち始めたのは、結構最近。

大学で工学を専攻しているときに、

図書館でAXISとか、デザインノートとか、川崎和男の本とか、佐藤雅彦とか石井裕とかの勉強・・・

というより、単に楽しくって眺めていました。

15年くらい前ですかね。

それまでは理系、工学、ロボット一辺倒だったのですが、きっかけが・・・・・・・・・・・・・・・・わからない。


当時は単純にかっこいいもの、面白いものが、デザインワークを通して作られていたものに多かった。

というのが大きかったのかもしれません。


ただ、私はデザイナーになろうとは思いませんでした。今もです。

理由は、自然法則を用いてアイディアを具現化するのはエンジニアの仕事だ、との思い込みのせいです。

まぁ、絵がかけない、ってのも大きいですが(泣)


デザインが大事だってのは感じるのですが、どのように大事かと問われると答えに窮します。


そもそもデザインって何?

広辞苑で引いたら「意匠計画」って出てきましたけど、ますますわからん。

しかも、デザインに携わている方々みんな言うことが違う。うーむ・・・・


ちまちま勉強し、インタビューをし、考えてると、困ったことに私なりのデザイン論ってのも出てくる始末。


恥をしのんで開陳させていただきますと、

「人間の割り切れない部分に触れるのがデザインかな」というものです。

割り切れないモノって何か。

ここも、曖昧で申し訳ないのですが、

「合理性だけでは語ることのできないもの」といいかえてもいいかな。


でも、ここに、エンジニアがデザインを勉強するといいことがあるように思えます。

エンジニアは合理性を突き詰めるのが大好きです。

何でも数値化し定量化し、最適値や、最小値、最大値をもとめる種族です。

この姿勢がよかったのは、目標がはっきり数値化されている場合。このときは最強ではないでしょうか。

マシンスペック競争なんて大好きですし。


しかし、残念ながら、時代が変わりつつあります。

マシンスペック競争という軸から体験重視型に軸が変わりました。

体験を数値化しようと思えばできないことはないのですが、本質は見逃します。

興奮度120%の携帯電話!!意味がわからない・・・・・




こんな時にこそ、「デザイン思考」が有益なのでは?と考えます。

合理化一辺倒のエンジニアから、人間の事を理解しようとするエンジニアへ。

言葉に表せないものを作っています、なんて言えたらかっこいいですよね~

ちょっとカッコつけすぎでしょうか?(笑)







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ネットワークエクスペリエンスデザイン考 01 ー体験は要素還元できないー [デザイン]

インターネットに繋がる体験をデザインすることを
「ネットワークエクスペリエンスデザイン」と
呼ぶことにしました。
しばらくはこの言葉にお付き合い下さい。

なぜ、わざわざ新しいデザインカテゴリーを提案するのか?
今あるデザイン論で語ればいいのではないか?
たしかに、語ろうと思えばできないことはない。
しかし、インターネットに繋がっている人とその滞在時間がある一定値を超えると、
その体験は質的な変化をもたらす。
すなわち、従来カテゴリーには要素還元できない新たな形態へと移行すると考える。

要素還元できないってどういう事?
例えば、
1+2=3。
この時「3」は、「1」と「2」。もしくは「1」「1」「1」の要素に還元できる。

一方、質的な転回を伴って要素還元できなくなるとは
1+2→A
こんな感じ。
左辺と右辺は不可逆。
「A」は、「1」と「2」の和、以上の別のものになっている。
すなわち要素に戻して考えることができない。
ということ。


そんなことが、ネットワークに繋がっただけで起こるのか?

起こります。

例えばブログ。
ブログって何?と問われれば、こんな要素が並べられるのではないか?
「日記」
「インターネット」

これは、
「インターネット上で他人の日記が読める」
「インターネット上で自分の日記を公開できる」

これだけだと、「ふーん」で終わってしまう。
特に新しい体験が語られていないから。

ここに体験を付け加えると
「日記を工夫することで、PVが増えていくのがやる気を出させる。」
と、インターネットに公開することで得られるインタラクティブ性により
単に「インターネット上で自分の日記を公開できる」以上の体験を創出している。

はじめはPVも少なく、ブログは「インターネット上で自分の日記を公開できる」だけの物。
しかし、PVがある値を超えると、体験が質的転回をおこす。
上のやる気が出るというのは、先に並べたブログの要素以上のものだ。
物理的な要素をいくら並べても、ブログの魅力は出てこない。
1+2→A なのである。

このたとえ話は「日記」+「インターネット」だが、
いろんなモノがネットにつながると、それに応じて様々な体験が新しく出てくる。
「動画」+「ネットで共有」→「Youtube」
「つぶやき」+「ネットで共有」→「twitter」
「写真」+「ネットで共有」→「FaceBook」
「読書」+「ネットで共有」→「?」
「政治」+「ネットで共有」→「?」
「TV」+「ネットで共有」→「?」
と可能性は無限大。

ネットワークエクスペリエンスデザインでは、
ネット独自の作用による、全く新しい体験を産み出していくことに着目したい。

おそらく、同じような考えをしている人は世界にあまたいるでしょう。
是非、積極的にお話ししたいと思っていますので、宜しくお願いいたします。

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