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ソーシャルネットワーク考04 ― @NHK_PRのすごさ ― [テクノロジー]

最近、いろいろな会社がTwitterとfacebookアカウントを取得しています。

が、私、あまり企業のアカウントはフォローしていません。

はっきり、つまらないからです。

何がつまらないって、HPに載せている情報とほぼ同じものを発信しているだけだから。

さらにセンスがないところになると、HPにSNSポリシーってのが記載されてあって

そこには「お返事致しません」「コミュニケーション取りません」とまで書いてあるから驚き。

無料の広告媒体が増えたとでも思っているのでしょうか・・・・


こういうのって、他のプレーヤーから無視されるだけならまだいいのです。

一歩進んで、私のように「あの会社つまらないよね」となるのが怖い。

しかもこのような感情はすぐに伝播し組織化され大きくなっていきます。

企業のSNS担当者とすれば安全牌を切っているつもりでしょうが、勘違いおおいいです。



一方で、私が関心を通り越して、感動しフォローしている企業アカウントはなんといっても

@NHK_PR

基本的ですがちゃんとSNS上でコミュニケーションをとっている。

ユーモアを忘れない。(一流)

批判的なコメントに対しても、冷静丁寧に返答している。

等々、見習うべき点は多いですが、なんといっても


真骨頂は3.11の時に見せた、NHK総合放送の無料ネット配信を決行したこと。

これは中の人の英断でした。

この英断は、普段から中の人がSNSに身を置き、コミュニケーションをし、空気感を読み取って、

初めて出来ることだと思います。



「コミュニケーション取りませんのであしからず」的なSNS運営をしている企業のアカウントは

早晩駆逐されるでしょう。

そうなる前に、ぜひ@NHK_PRをフォローして、その姿勢を学んで欲しいと思うのです。






タグ:@NHK_PR SNS
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スマートテレビ考03  ― gang of four の次のプラットフォーム戦略を考える ―  [テクノロジー]

Google エリック・シュミット会長のインタビュー記事を読みました。

そこで出会った新しい言葉に "gang of four" があります。

Google, Apple, Amazon, Facebook, を指す言葉です。

この4社が今のテクノロジーを支配している、というのがシュミット氏の見解。

この4社に共通しているのが、強力なプラットフォームを持っているということ。

なるほど、プラットフォームか。今、盛んに言われていますね。

少し前までの、テクノロジーオリエンテッドでの囲い込み戦略とは明らかに次元が変わってます。



さて、各社のプラットフォームは確かに強力です。正面からぶつかってもそうそうひっくり返らないでしょうね。

正面から行くなら。

この記事のタイトルは「スマートテレビ考」。

そう、テレビで新しいプラットフォームを構築すればgang of fourに対抗出来るのではと考えるのです。

どうして対抗出来るのか?

 1. 動画ニーズは高く、多くのユーザーを獲得できる。 ( FaceBookより多い )

 2. 動画そのものが商品として対価を得ることができる ( Amazonのモデル )

 3. 広告効果が非常に大きい ( Googleのモデル )

 4. 動画操作APIをオープンにすることでApp市場を構築 ( Appleのモデル )

と、まぁ、やり方次第ではgang of four のプラットフォームより大きくなる可能性がある。

非常に魅力的なのです。 (パクリともいう)


今の4社の動きを見ていると、音楽のクラウドサービスから始めようとしています。

正攻法ですね。ただでさえ権利意識の高い音楽業界を巻き込むことが出来れば

次のTVコンテンツのホルダーに対する布石となります。






ここに、日本企業のチャンスがあると考えます。

一足飛びにテレビコンテンツのクラウド化による、スマートテレビプラットフォームを構築するのです。

要素は揃ってます。

世界に通用する受像機、放送技術、コンテンツ(クールジャパンとか言うやつ)、ネットワークインフラ。

ま、あとは、危機意識をどれだけ持てるか。

旗振りを、意識の高い「官」と、機動力のある「民」で出来るか。


わたしが考えに及ぶぐらいですから、偉い人はとっくに気づいていますよね。きっと。

それに私も助力出来ればと考えるわけであり。

誰かやりませんか?

シリコンバレーは着々と外堀を固めておりますし。








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ネットワークエクスペリエンスデザイン考 02 ― 何をデザインするほうがいいか? ― [テクノロジー]

多くの電子機器がネットワークに繋がったとき、

ネットワークが質的転回を迎えたとき、

私たちは何をデザインする必要があるか?

わたしは、ネットワーク上の人間と意思を正確にやり取りする仕組みが必要だと考える。


あらゆるものがネットワにつながる理由は、

人間がネットワークで得ることができる快感が大きいためだと考える。

 Twitterでフォロワーが増える。

 ブログでコメントを貰う。

 ブログが炎上する (えっ?) 等々、

これらは快感につながる。


人間一人ではいられない。

自分のことは分かって欲しいし、

同じような考え方を持つ集団に属したいとも考える。

これらのためにはコミュニケーションが不可欠だが、ネット上のコミュニケーションは非常に貧弱だ。

リアルなコミュニケーションと比べるべくもなく。

ま、ネットのほうがリアルなコミュニケーションより体感するものが少ない分バランスが取りやすいとも考えられるが。


今のネットのコミュケーションは、文章がほとんど。

強大な力を有するツールの割に、非常に貧弱で、危ういコミュニケーションだ。

ネット上での新しいコミュニケーションの仕方、仕組みをデザインを考える意味はあると思う。

リアルなコミュニケーションとはまた別のネットならではのコミュニケーションを。

いい例がFacebookの「いいね!」のボタン。

あれはいいデザインだと思う。ネットならではだし。

もっと可能性はあると思うし、取り組んでいきたいです。
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ソーシャルネットワーク考03 ーコモディティな人間になってしまう怖さー [テクノロジー]

みなさんは、最近、自分の意見や考えをアウトプットしましたか?

そのアウトプットに対してフィードバックをもらったりしたでしょうか?


私は、このブログを始める前はあまり自分の考えや意見というものを表には出しませんでした。

同時に、たいして考えていなかったというのも確かです。

考えをアウトプットしないと、考えなくなります。

ブログというアウトプットを自分に課すと、疲れること疲れること。。。

考えるというのは大変だなと思います。

と、同時に愕然とするのですが、私が考えた結果というのが結構世間では当たり前の考察であること。

ユニークさがないのです。

俺って、みんなと同じなんだ・・・と、驚いたりします。

こんなんででいいのか?


前回の記事(ソーシャルネットワーク考02)で、

インプットがコモディティな情報のみと、人間のネットワークから得られる生きた情報とでは

この情報化社会では大きな差になる、ということを書きました。


何も、知識自慢をするために情報を集めるわけではないです。

肝心なのはどのように考えるか。

この考えるという行為はどんなインプットを得るかによって大きく左右されます。

私のインプットは主に雑誌と書籍です。

確かに今流行っている本や、簡単に書かれた本を読んでいるので、

思考の結果が似たり寄ったりになるのでしょうね。



ソーシャルネットはインプットとアウトプットを同時に要求します。

アウトプットがない人はフォローされませんからね。

ということは、良質なインプットを得ようとするなら、ユニークなアウトプットが必要になる。

こんなことが言えるのではないでしょうか?


逆に、

考えない → アウトプットしない → ネットワークが貧弱になる → インプットが均質化 →

なんてフローを地で行くようなら、非常に危ない。

ブロードキャストな情報社会では特に考えなくても、みんな同じ情報しか持たないわけで

とくに危機感を持つ必要もないでしょうが、

ソーシャルネットの世界では「みんな同じ」ではなくなります。

持つものと持たざる者の差が大きくなります。


人間のユニークさを支える要因は「いかに独自の視点をもつか」にかかってきます。

自分の頭で考えないと、みんなと同じような考え方をする、ロボットになってしまう。

ソーシャルネットの世界になって、この傾向はますます強くなります。


せっかくソーシャルネットという大きな力を手にするのですから、

積極的に発信して、世界に影響をあたえるようにしてはいかがと、思います。

ソーシャルネットワーク考02 ーコモディティな情報と生きた情報ー [テクノロジー]

ソーシャルネットワークの拡大につれ、私たちがアクセスできる情報の体系はどうなるのか。

今のGoogle検索とだいぶ様相が変わってくるような気がする。

ざっくり言うと、機械統計的か、人間的か。



私なんかは、Googleのお世話になりっぱなし。

検索キーを入れて、結果が思うようにならない時も「私が悪いのか」と反省して、キーを入力しなおす。

一方、孫正義ぐらいになると状況は変わってくる。

彼はわからないことがあったらTwitterでつぶやいてみる。

それも、機械がわかるような言葉でなく、普通の自然言語で。

そうしたらフォロワーから、結構正確、有益な情報がリプライされてくる。

孫正義が、「Twitterは新しい脳のようなものだ」というは、確かにその通りだろう。


ここでは、アクセス出来ている情報の質が大きく違っている。

サーバー上のデータにアクセスしているか、人間の頭の中にアクセスしているか。

前者はだれでもアクセスできる、コモディティな情報。

後者は、アクセスできる人によって変化する、生きた情報。

わたしは、前者のデータベースしか利用できない。ネットワークが貧弱だから。

私と孫正義が情報戦で戦ったら、結果は火を見るより明らかだ。


情報化社会と言われているここ最近で、情報化の流れはますます加速していく。

誰にでもアクセスできる情報だけでは、均質化に飲み込まれるのは免れない。

情報化社会で、新しい知識や知恵を紡ぎ出そうとしたら、これではいけない。

どれだけ生きた人間の頭の中にアクセスできるかが重要になる。



もちろん、いくらアクセスできる情報が豊かであっても、自分で考えなければ意味ないのだが。


クライアント思考からネットワーク思考へ [テクノロジー]

以前の記事で、

「エレクトロニクスメーカーの成長は、ソフトでなく、ハードでもなく、ネットワークにある」

なんて、偉そうなこと書いってしまった。。。。

私も、しっかりビジョンが見えていて書いたわけでもないから、ぼんやり抽象的なことに終始してる。

あれから、私は何が言いたかったのだろう?と自問自答してたら、

もっと具体的に、言い切っている人がいた。

久夛良木健氏である。プレイステーションの生みの親という方が通じはいいか。

日経エレクトロニクスでのインタビュー記事がそれ。

たくさん引用したいのだが、私に一番響いたのは

「すべてがネットワークに向かうことは必然と言える」

という言葉。おおおぉ。

クライアントの価値をいかに高め、クライアントベースでビジネスを考えるクライアン思考は

100年前の大量生産ビジネスモデルの考え方。

これから、いや、今からは、

ネットワーク上での価値をいかに高め、ネットワーク上でビジネスを考えるネットワーク思考

じゃないと、これからのエレクトロニクス企業(この言葉も旧態依然としている)は生きていけない。


たしかに、今ある情報端末事業の採算は、一台あたりのコストがいくらで、いくらで売るかの

考え方に支えられている。昔の扇風機の事業と同じ考え方。これじゃぁねぇ・・・

本当に近い将来すべて、と言わないが、多くのエレクトロニクス機器がネットワークに繋がる。

それが当たり前の価値になる。

新しい機能を創りだすことが最重要なのではなく

ネットワーク上の価値を正しく訴求し、適正な利益をネットワーク上から得る仕組みを作ることが最重要。 まだみんな出来ていない。

これができた企業が、次のエレクトロニクス市場で大きく抜きんでる存在になると思う。

別に大きな企業である必要は無いですしね。
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スマートテレビ考02 ー起こるであろう破壊的イノベーションってどんなの?ー [テクノロジー]

スマートテレビは大きな可能性を秘めている。

それだけ、いろいろな人がビジネスチャンスを求め、集まってきている。私もその一人。

もちろん、大手のメーカー、コンテンツホルダー、放送局、国も黙ってはいない。

さて、どこが覇権を握るか?GoogleなのかAppleなのか、はたまた・・・?

いろんな要素も絡んでくる。

ハード、ソフト、UI、コンテンツ、ネットワーク、検索、共有、広告、レコメンド、シェア

あ、レイヤーバラバラ(笑)しかも書ききれていないし。



そんな中で、タイトルに上げた「破壊的イノベーション」って何か。

ひとつに著作権に関するものが大きいと思う。

例えばコピーライトコントロールとコンテンツ料の回収スキーム。

なにそれって? なんで破壊的なのかって?


まず、何か?

それは、一回ネット上に流したコンテンツに対して、コピーライトの設定を行えるようにすること。

例えば、とある歌を、コピーライトを有してかつ有償という設定でネットワークに流す。

そのまま、有償でネット上に広まるの楽しむのもよし。

また、ある一定期間無償キャンペーンを行うときにコピー時にコンテンツ料が発生しないように

後から設定を変更できるようにする。

というかんじで。


つぎに、なぜ破壊的なのか?

それは、より柔軟性があり、便利で、みんなが著作権の恩恵にあずかれるから。

結果、お金と人が集まる。よって破壊的。

今ある、コンテンツ管理は、サーバーの中でクローズで管理するか(youtube)、

一度決めたらあとはコントロール出来ないか(ダビング10)じゃないでしょうか?

また、著作権のコントロールはユーザー各自ができないのも、スマートテレビの時代には似合わない。

それに対する提案。


では、どのように実現するのか?

方法はデジタルデータにキーを埋め込み、検索エンジンで管理するっていうのを考えています。

まず、配布するデジタルデータには一時配布者とを結びつける共有のキーを付与。

以降、配布されるたびにサーバーとコンテンツIDを結びつけ。

これによって、コンテンツを管理し、コピーライトの設定をいじれるようにする。

基本はこんな感じですが、細かいとこまで行くと、請求項がいくつもかけてしまうので、ここまで。

ああ、こういうこと考えていると、つくづくエンジニアだな俺、と苦笑していま。




ネットでの成長は「体験の砂漠に熱帯雨林を創りだすこと」にある! [テクノロジー]

のっけからなんなんだが、

すでに日本の情報機器メーカーは詰んでいるのではないか?

基本OSはAndroid、
ハードは中台のEMS、
コアチップはアメリカメーカー、
新しいコンテンツビジネスでは、日本独自の著作権の問題で出遅れて、と

なんか、暗澹としてきた。。。。


このような状況で、もし、世界に対し新たな価値を提供できるとすれば、

それはネットワークではないか。

ソフトでなく、ハードでもなく、

「どのようなユニークなネットワークを形成し提供できるか」

である。

これは、機器と機器をつなぐネットワークではない。

機器と機器の先にいる人間に注目したネットワークである。

え、今と変わらないやん!!!

いえいえ、ちょっと解説。



たとえば、私がスマホを買ったときに

「これでインターネットに繋がる!」とはいうが、インターネットは全体を指している。

具体的にインターネットの中で独自のネットワークを構築するのは私にかかってる。

私のネットワークの要素は

「ニュース類」と「eコマース」と「SNS」

これだけ(笑)

インターネットは広大だが、それゆえに何をしていいかわからない。

また、ネットの端末がPCかスマホ、最近ではタブレットがあるが、
どちらにせよ種類が非常に少ない。

出来ることも大部分はテキストベースである。

つまり、いまのネットは、広大だが出来ることが少ない、いわば砂漠の状態だと言える。

googleはこの砂漠をさらに広げようとしている。砂漠のままでだ。

対して私の提案は、ネットの大砂漠の中に熱帯雨林をつくろうということだ。

この熱帯雨林はどうやってつくるのか。

端的に言うと体験が増えればいい。
付け加えるなら、体験と体験が結びついて新たな体験を呼ぶようになればいい。

テキストを読むという体験以上に、
友達が増えるという体験、
食生活が豊かになるという体験
健康になるという体験
感動で涙する体験
共同でやり遂げた体験、

という感じで。

これらの体験はひとりではできない。必ずネットワークの向こうの人間と繋がる必要がある。

これが先に言った「どのようなユニークなネットワークを形成し提供できるか」である。
(ヨカッタ、ツナガッタ…)

今のインターネットが体験の砂漠であると認識し、それを熱帯雨林にかえることが
つぎに情報機器メーカーが打てる手ではないだろうか。

もちろん、この戦略は他国、他業種のメーカーでも実行可能。早い者勝ち。

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みんなAndroidで幸せになるのか? [テクノロジー]

Twitterをなんとなく追いかけているとTL上に

「もう、みんなAndroidにしちゃえばいいのに!」

といった旨のつぶやきが流れてきた。

これが、今になってまだ頭の隅に引っかかっている。

本当にそれでいいのか、この記事を書きながら考察を進めてみたい。



Android、私の周りでも盛んに導入されていている。

ああ、時代はAndroidなのねぇ・・・と感慨に浸っているのはいいが、

同時に疑問点というか、危機感がうっすらと意識の中に漂う。

私たちは何をやりたいのだろうか?

Androidと格闘していると、ついつい「お客さん」が頭から消えてしまう。

いつも、
 Googleはどのような見解か、
 Googleは何を望んでいるか、
 Googleの要求を満たすためにどうするか、
 Googleは・・・・
こんな感じ。

まぁ、仕方が無いのだが、それでは済まされないのではないか。


どんな商売、サービスでも、まずはじめにお客様にどんな体験を提供するかが命題になるはず。

そこから、ブレイクダウンして、技術、ビジネスモデル、サービス体制に落としこんでいく。

しかし、世間では上の「もう、みんなAndroidにしちゃえばいいのに!」のように

Androidありきから議論が進む。

 これからはAndroidだ! (思考停止している)
   ↓
 Androidで利益を上げるためにはどうするか? (視野が狭い)
   ↓
 できた商品を売るためにはどうしたら良いか? (すでにとんちんかん) 


このような感じで、理論展開がすすむので、
出来上がった商品とユーザーが望む物の間に大きな乖離が生じる。

カタログスペックで競争するしかなくなり、その商品は恐竜化してしまう。

恐竜化した商品は一部のマニアにしか訴求せず、やがて衰退し消えていく。

これが、いま多くのAndroidパートナーが陥っている状態だと思われる。

これは、Windows PCで歩んできた道と同じだ。

このような、先にOSありきで、差別化のためにカタログスペックに走り、
ユーザーメリットを後付けする方法がうまくいくとは考えられない。

どう考えてもフローが逆だろう。

一体何をしているのだ、私たちは・・・



日本の情報機器メーカーは、これからインターネットに繋がることが当たり前という考え方にさらされる。

ケイタイ が スマホ になったように。

テレビ が スマートテレビ になるように。

GoogleのAndroid戦略はその下地、プラットフォームを握ろうとしている。

一方で、ハードウェアはコモディティ化が叫ばれて久しい。
当分は中台のメーカーに頼らざるを得ない。

アプリはオープン化が進んでいるし、コンテンツビジネスは門外漢。

あれ?どこで儲けるのよ!?

もしかして、詰んでる?この業界?



もし、世界に新たな価値を提供できるとすれば、それは

「どのようなユニークなネットワークを構築し提供できるか」

ではないかな。

まだまだ考察が必要だけど、うん、可能性はある。

ちょっと長くなるので今回はこのへんで。

続きは今晩にでも。
タグ:Android 恐竜化
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スマートテレビ考01 ーテレビの何が変わるのか?ー [テクノロジー]

スマートテレビを考える上で大事なのは、テレビがオープンになることだ。

テレビのオープン化ってなに?という声が聞こえそうなので、このあたりについて考察してみる。


まず、テレビって何かを定義したい。
テレビとは「コンテンツ作成から放送、受信、視聴、広告料を得るまでのプロセス」
と、ざっくりと言い切ってみる。

このプロセスは、放送局、国、スポンサー企業、視聴者からなる。(ざっくり)

流れは、
 ・国が放送局に電波の割り当てを決める。
 ・放送局はスポンサーから広告料を受け取り、コンテンツを作成する。
 ・放送局は電波枠を用いて、放送を行う。
 ・スポンサーは視聴者から広告料を回収する。

大まかだが、こんな感じ。(ざっくり)

ポイントは、
テレビプロセスの中心は放送局とスポンサー企業間でのお金のやり取りであること。

この部分で視聴者への影響が、ひいては政治、経済に大きく影響をあたえてしまう。

なのに、視聴者が出来ることは、放送局にクレームを入れることぐらい。

現状、テレビプロセスは非常にクローズドになっている。
だからあんなにお金が集まる。人も集まる。
だから既得権益もものすごいことになっている。
国をコントロールしようと思ったら、このプロセスの中心に大量のお金を突っ込めばいい。

ちょっとずれました。。。。


スマートテレビはテレビのオープン化を無理矢理にでも実現させる。

スマートテレビのプロセスには中心がない。そりゃそうで、ベースになるのはWWWだから。

黎明期には、メーカー、放送局、コンテンツベンダー、スポンサーが仲良く手を取り合い、
うまーくみんなが利益が出るように仕組みを立ち上げるでしょう。
言い方を変えれば、現在の既得権を守りながら、視聴者にお金を払ってもらうモデル。
クローズドなプロセスを残そうとしながら。

でも、先にも書いたが、ベースはWWW。
間違いなく、仲間に入れてもらえないベンチャーや、影響力を持ちたい視聴者が
ネットの中から破壊的なイノベーションを起こす。

そもそも「放送と通信の融合」というのは、
放送が通信のうまいところだけをとって、既得権を守ろうとするスローガン。

通信側や、ネットの視聴者から言わせたら、放送の既得権益者のご都合など関係ない。
融合ではなく、放送は通信に飲み込まれる。
放送は通信やネットのルールの中で生き残るすべを考えなければいけなくなる。
この結果、テレビはオープン化に踏み切らざるをえない。

オープン化の結果、
放送局の機能は細分化され、相対的に弱体化。
今まで、膨大なお金が集まっていた仕組みがかわり、
そのお金が、ネット上のあらゆるところに移動していく。

未曾有のビジネスチャンス到来!
カンブリア紀の種の大爆発が起きる予感。


以上、わたしの考察。
少々荒っぽい考察ではあるがご容赦を。

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