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25Kg減量のコツ [雑感]

私の25Kg減量のコツは、

「自分でコントロール出来ることだけを意識する」

この事一点に尽きます。



私は体重を、2011年7月時点 95Kg → 2012年3月25日時点 70kg と減らしました。

長期戦でありモチベーションをいかに保つかが大事になります。

これまでは日々の体重に一喜一憂していたのですが、なかなか減りません。

減らない体重に落胆し何度も放り投げてしまっていました。

これはモチベーションの源泉を自分ではコントロールしきれない体重に求めたための失敗です。



今回は自分でコントロール出来ることに意識を向け、それをモチベーションの源泉にしました。

自分でコントロール出来ること = 自分の習慣 です。

一番始めは「記録」をできたら自分にご褒美です。

例えば、

  ・体重を記録できたらOK
  ・食事した時間を記録できたらOK
  ・食事の内容を記録できたらOK

と、むちゃくちゃ甘い設定です。

しかしこのくらいなら自分でコントロールできます。

ご褒美ゲットなんて余裕(笑)

記録の習慣がついたら、次は食事に野菜を組み込んだらご褒美。

その習慣がついたら、次はよく噛めたらご褒美。

これの繰り返しです。

小学生の躾と同じです。



私にはこれがハマったようで、今では腹筋が縦に割れています。

鏡に向かってにやけてます。(←アヤシイ)



自分でコントロールできないものに自分のモチベーションを乗っけると振り回されるだけです。

自分でコントロールできることに集中する。それなら自分で改善もできます。


ご参考になれば、うれしいです。
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この世は私の思うがままなのかも(笑) [雑感]

今日一日無事に過ごすことができて、

シャワー上がりに夕刊を読んでいたときのこと。

突然「今まで、俺、生きていたっけ・・・?」と目が覚めた感覚を得ました。

トリガーはおそらく、がんこ寿司の小島淳司会長の記事を読んだこと。

小島氏は商売において常に観察、データ収集、推論、実行、軌道修正を

すごい速度で回転させてきました。

商売を立ち上げるとき、分からないことばかりで、

自分で考えて自分で実行する事だけが、成功し生きていく方法だと、教えてくれているようです。

私はこれを、小島氏は常に自分で世界を構築していった、と読みました。


私は目が見え、耳が聞こえ、口がきけ、触覚もあります。

世界は私の外に厳然と存在し、

五感によってその世界を感じることができる、と思い込んでいました。

でも、五感だけでは世界を捉えることはできないのかもしれません。

本当は、

目は幻を追いかけ、

耳は都合のいい音のみを拾い、

口は増長した言葉を吐き、

手は気の向いたものにしか差し伸べられない。

私が何も意識しないと、五感は私をふりまわし、世界は霧の中。。。。



大事なのは「意識」ではないかと考えます。

はじめに意識があり、それに五感がついてきて、結果、世界ができる。

だから、どんなに小さくて貧弱でもいいから、「意識」することを大事にしないと。

漫然と流れの中で生きていては、もったいないです。

また、他の人の世界で生きるのももったいないです。

自分で、自分の世界を創ることが出来れば、楽しそうじゃないですか?
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アポフェニア読書 [雑感]

私は情報の整理整頓が苦手です。

というよりも、整理整頓しようとしません。

全部頭の中に放りこんで、そして忘れます。(笑)

もう、ゴチャゴチャ。ノートもいろんな情報を詰め込んでいて、検索性は最悪。

でもそのほうが楽しですね。私の場合。

何が楽しいかというと、

ノートも、メモも、本も、頭の中も、

情報が混在していると、時々変な組み合わせで自己組織化します。

でもそれが、ちょっとしたスピーチだったり、ブログのねたになるのです。

特許になることもしばしば。



例えば、ビデオやHDD録画機で時短再生機能はよくあるのですが、

何を思ったか、私の頭は自動延長再生なるものを発想。

で、頭の中にある他のアイディアを寄せ集めて、相談したら、そのまま特許になりました。

へんでしょ?(笑)



このような認知機能をアポフェニアというそうです。

「アポフェニア(英: apophenia)とは、
無作為あるいは無意味な情報の中から、規則性や関連性を見出す知覚作用のことである。」(wikipedia)

人間は、自分で意味を見出さないと居ても立ってもいられない様ですね。


最近はこのアポフェニアを狙って、複数同時並行乱読書をしてます。

現在進行形の本は5冊。

ジャンルはデザイン、ビジネス、テクノロジー、ファッション、SFとほぼバラバラ。

読書ノートも、手書きで、思いついたら買い込んでいるので、シャフル状態です。

でも、ヒラメキは増えました。

一日2回はブログアップしてますが、まだまだネタには困らなそうです。

タイトルの「アポフェニア読書」というのも、さっき思いついたものです。

でも、それっぽいから面白い。



今度は、さらなるアポフェニアを誘発すべく、いろいろ手を出してみようかと。

思いつきを逃さないよう、ノートとペンを携帯して。

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日本の「規格大量生産」という幻想 [雑感]

とある、就活を行っている方々に対して書かれた雑誌を立ち読みしたのだが、

3分で気分が悪くなってしまった。。。。

何がまずいって、「就活生はこうあるべき」と語り過ぎな点。

髪型、喋り方、服装、行動、準備、作文、受け答え、等々、、、

これらをして当たり前ということを、自称、就活のプロが語っている。

しかも大学2年から始めるのが常識だという。

ロボットじゃないか・・・

さらにおかしなことに、その就活のプロが、企業をランクづけしている点。

ひとつの価値観でしか測っていないことの押し付けじゃないか・・・

ああ、こうやって、日本の労働力は「規格大量生産」されていくのね・・・・


このブログの記事で数回指摘しているが、

日本の多くの企業はいまだ人材を「人間」扱いしていない。

交換可能な機能、機械、駒としてみている。

企業活動全般を「工場の組立ライン」としてみなしていると言っても過言ではないだろう。

決められたライン上でその機能を発揮出来れば誰でもいいのだ。


この原因は、日本のマネジメントを握っている層が

「規格大量生産」での成功体験に縛られているためではないか。

縛られているというより、その他の成功スキームを生み出せないからか。


日本は「規格大量生産」することで、成功した。

その仕組をあらゆるシステムに反映させてある。

労働力の均質化、

会社のマネジメント、

教育システム、

いわば、日本全体が巨大な「製品組み立て工場」の形をとっている。

工場は「目的」が決まれば、それを効率よく達成する優れたシステムだ。

しかし、今は何を作るべきかという「目的」を作り出す必要がある。

なにを作ればいいのかわからないのだ。

そういう時は、工場のシステムは重荷になる。柔軟性がないからだ。

もちもん、世界にはまだまだ工場は必要である。

しかし、相対的に日本が工場でいられるかどうかは別問題だ。


工場のラインに置いては「勝手なことはするな!」といわれる。

失敗をすることを極端に嫌う。

これが日本を覆っている「規格大量生産」の幻想による弊害だろう。


これからは、いかに上手な失敗をするか。そして、そこからいかに早く学び修正をかけるかが

システムの設計の基本になるべきだと考える。


いま、日本がお手本にして追いつくべきモデルは無い。

自分たちで考え、枠を壊し、成長して、世界の中で新たなポジションを見るける必要がある。

そのような時勢にあるのに、せっかくの就活生をロボットにしている余裕などないと思うのだが。
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日本ダメダメ論から考える「日本」の定義について。 [雑感]

日本人は自己否定が大好きである。

何か問題があると

 「だから日本はダメなんだ!」

となる。

謙遜とも、謙虚とも違う、否定的なメンタリティー。

なんでいきなり全否定なのか・・・



今日、朝起きてから今この記事を書いている間での2時間ほどで、

 「だから日本の政治家はダメなんだ」
 「だから日本の学生はダメなんだ」
 「だから日本の経済はダメなんだ」
 「だから日本のメーカーはダメなんだ」

と、えらくまぁダメが並んだ。
ここまで「日本」と書き連ねてみると、ゲシュタルト崩壊起こしてきた(笑)。


この手のフレーズは私が幼少の頃からずっと変わっていない。
なので、「日本はダメなんだなぁ」と頭から疑っていなかったのだが、
最近になって1つの疑問が出てきた。

「日本って何?」という疑問である。

この疑問に対して、明確に、すっきり、論理的でシンプルな回答を出来る人はいるだろうか?

ちなみに手元の広辞苑では歴史的背景と領土、人口で説明してある。
それじゃだめなのか?
広辞苑の説明する日本は歴史的事実と、物理的なパラメータからなり、これ自体ダメもへったくれもない。
「だから日本はダメなんだ。」という文脈にはそぐわない。



では、私なりに 「日本って何?」 の回答を書くと

「『私は日本の一部だ』と考えてる人たちの思考の相互作用から生まれる概念」

と、言い切ってしまおう。

そう、「日本」とは考え方なのです。



厳しい言い方ですが

「だから日本の〇〇はダメなんだ」 というフレーズは 

「自分以外の他の連中が何も分かっていないからだ!」 と 

暗に「日本」から「私」を除いて語っていることろが罪深い。

「私」も立派に「ダメな日本」の一部なのだ。



「そんなことはない。だって、私は日本の〇〇に関係ない」と言う人もおられるでしょう。

そうなら、あなたは「日本」ではない。

しかし、「日本」という概念から生まれる様々な活動の恩恵に関係する限り、あなたは立派に「日本」なのだ。

  日本の国土に住んでいるのなら、立派に「日本」だ。(日本人と同義ではない)

  日本の法律で守られ、義務を果たしているなら、あなたは「日本」だ。(日本人と同義ではない)

  日本の経済活動に何らかの関係をしているなら、あなたは「日本」だ。(日本人と同義ではない)

クドイが、「日本」であることと「日本人」であることは同義ではない。




さて、 「だから日本はダメなんだ!」と言う時、私たちは自分自身で自分のことを否定している。

そんなに私たちはダメなのか?

本当にダメかどうかの考察はまた後日。




え、こういう考察がダメって?(笑)



タグ:否定 ダメ 日本
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私の読書スタイル ーマーカーは引きませんー [雑感]

よく、書評ブログで

「簡単な本であって得るところが少なかった」

といった、意見が出ることがあります。

しかし、私はこれを「知的怠慢から来る錯覚」と呼んでいます。

何が知的怠慢かというと、想像力を駆使していない点がそれです。

いい大人が絵本に出会って、泣いてしまう、人生の見方が変わってしまうということがしばしば。

これは絵本の向こうにある何かを想像力を駆使してみているわけで。

簡単な本に出会ったとして、そこから得るものがある、なしはやはり読み手の想像力にかかっています。

この想像力とか、知的作用といった、人間の脳が勝手にやってしまう認知作用というのは馬鹿にできません。

同じ文章を読んでも、ある体験をした後に読むのと、体験なしで読むのとでは、文面から得られるないように変化が出ることもあります。

それだけ、文字を読む、文章を読むというのは、かなりの知的作業を行っていると思われます。

私はこれを知ってかしらずか、本にマーカーを引くことをしません。

なぜなら、一回マーカーを引くと、その時の読み方や知的作用が固定化されてしまうからです。

これはもったいない。

線を引かずに置いておくと、2回目、3回目の読書での脳の動きが異なっていることに気がつくはずです。

「あれ、この文章を読んで、こんなキーワード連想したっけ?」
「ん?こんな言葉あったっけか?」

などと、あたらいし気づきが生まれます。

私はこれを大事にしたいがゆえに、本にマーカーは引きません。
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書評 「エンジニアとしての生き方」 著 中島聡  [雑感]



はじめは うんうんと 頷きながら
中盤で 大笑いし
で、笑顔が消えて真面目に読みいっていた。

基本的には著者のブログ
http://satoshi.blogs.com/

を中心とした総まとめなのだが、
自称ソフトウェアエンジニアとしては笑えない。

なぜかというと、あまりに自分が日本という護送船団の中で
自分の価値を磨くことなくただ、緩やかに人生を終えようとしていることに気がついたから。

これはなかなか笑えない。

自分の価値を上げていくのはエンジニであれば当たり前のこと。

私は自分の価値を上げるために、理系に進み 工学部を出て メーカーに入ったはず。

なのにそのメーカーの中で、エンジニアの仕事をしないことを了とし、安穏と過ごしている今日この頃。

そのことに気づかせてくれただけでも著者にはお礼を言いたい。

世界で活躍するエンジニアを目指す人には是非お読みいただきたい。

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