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日本の「規格大量生産」という幻想 [雑感]

とある、就活を行っている方々に対して書かれた雑誌を立ち読みしたのだが、

3分で気分が悪くなってしまった。。。。

何がまずいって、「就活生はこうあるべき」と語り過ぎな点。

髪型、喋り方、服装、行動、準備、作文、受け答え、等々、、、

これらをして当たり前ということを、自称、就活のプロが語っている。

しかも大学2年から始めるのが常識だという。

ロボットじゃないか・・・

さらにおかしなことに、その就活のプロが、企業をランクづけしている点。

ひとつの価値観でしか測っていないことの押し付けじゃないか・・・

ああ、こうやって、日本の労働力は「規格大量生産」されていくのね・・・・


このブログの記事で数回指摘しているが、

日本の多くの企業はいまだ人材を「人間」扱いしていない。

交換可能な機能、機械、駒としてみている。

企業活動全般を「工場の組立ライン」としてみなしていると言っても過言ではないだろう。

決められたライン上でその機能を発揮出来れば誰でもいいのだ。


この原因は、日本のマネジメントを握っている層が

「規格大量生産」での成功体験に縛られているためではないか。

縛られているというより、その他の成功スキームを生み出せないからか。


日本は「規格大量生産」することで、成功した。

その仕組をあらゆるシステムに反映させてある。

労働力の均質化、

会社のマネジメント、

教育システム、

いわば、日本全体が巨大な「製品組み立て工場」の形をとっている。

工場は「目的」が決まれば、それを効率よく達成する優れたシステムだ。

しかし、今は何を作るべきかという「目的」を作り出す必要がある。

なにを作ればいいのかわからないのだ。

そういう時は、工場のシステムは重荷になる。柔軟性がないからだ。

もちもん、世界にはまだまだ工場は必要である。

しかし、相対的に日本が工場でいられるかどうかは別問題だ。


工場のラインに置いては「勝手なことはするな!」といわれる。

失敗をすることを極端に嫌う。

これが日本を覆っている「規格大量生産」の幻想による弊害だろう。


これからは、いかに上手な失敗をするか。そして、そこからいかに早く学び修正をかけるかが

システムの設計の基本になるべきだと考える。


いま、日本がお手本にして追いつくべきモデルは無い。

自分たちで考え、枠を壊し、成長して、世界の中で新たなポジションを見るける必要がある。

そのような時勢にあるのに、せっかくの就活生をロボットにしている余裕などないと思うのだが。
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