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戦争と社会性はコインの表裏 [雑感]

人間というのは社会的な動物と言われています。

もしかすると、その社会性を得たために人は戦争をしなければいけなくなったのじゃないか?

そんな暗いことを考えているので整理しておきます。



人間は過酷な環境で生きて行くために協力しあうことにした。

この社会性の獲得を論考の起点とします。

この社会性はすべての人間で共通では無く、物理的に近接した人間同士で形成さたのではないか?

土地が違えば違う社会になるということです。

この社会性を手に入れた集団間でひとつの資源を争うとき、どう行動がなされるのか?

例えば、定員10人の救命ボートに対して、20人の人間がいる場合。

(その一)
この20人に社会性がなければ、各々が押し合いへし合いして

最終的に強いか、もしくは運の良かった人間がボートに乗り込む。


(その二)
この20人が10人ずつの社会性を得ている場合。

個人の生存は属する社会に依存していると仮定します。

すると、各々が自分の属する社会のために行動を取るのではないか?

自分の属する社会以外を取り除けばよく、結果、集団戦になるのではないか?



まぁ、突込みどころ満載の論立てですね。。。。

しかし、平和な状態にあると個人主義が生まれ社会性が減少する。

逆に、戦争状態になると一気に集団化し、社会性は大きくなります。

社会性と戦争はコインの表裏のような気がするのです。




戦争を無くすためには、社会性の放棄か、世界での単一社会を形成するか。

ネットによって地上の多くの人々が大きな社会性を手にしました。

しかしネットは人間生来の能力ではないです。

誰かが電源を落とせば、その社会は維持できません。




過度な技術に依存せずに地球規模で社会性を形成する手段。

そのような手段、見当もつきませんが、

でも、

そこが人が次に目指す地平かもしれません。




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