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Anonymousの功罪 [デザイン]

Anonymousといってもネットの話題ではなく、

デザインの方で語られる無名性のことです。

Anonymousなデザインはよく褒め言葉で聞きますが、

本当にいいことばかりなのでしょうか?


先日、日本刀の白銀師とお話する機会を得ました。

白銀師は日本刀の鍔や鈨(ハバキ)などの刀身以外の金物を手がけてます。

お話とその仕事を観て、なんとまあ細かく丁寧なことをしているのかと呆れつつ感心しました。



特に驚いたのが鈨に対する仕事です。

鈨は刀身が鞘から抜け落ちないようにし、かつ、鞘内での密閉性を保つものです。

t20120302e.jpg

求められる機能から装飾性より実用性が重視されるものだそうです。

その職人さんが手がけられた鈨を見ると、ヤスリ目が入っています。

「これもなにか実用性があるんですか?」とお聞きしたところ

白銀氏さん曰く「それは職人の銘やサインのようなものですよ。」とのこと。

確かに、一様のヤスリ目ではなくところどころパターンが入ってました。

それをしげしげ見ていると

白銀氏「それね、雨の降っているイメージを込めたんですよ〜」と。

私「えっ?ヤスリ目に??」

白銀氏「ええ。ヤスリ目の所々につぶがあるでしょ?それ雨粒のつもりです。」

たしかに、照明の具合でキラキラしています。

これを聞いて、日本の職人はアホやなかろうかと呆れました。

ヤスリ目一つに自分の心象風景を込める手間をかけるなんて・・・

そのことを、白銀氏さんにそのまま言ったら、笑ってました。

その一方で、そんなふうに自分の意匠を込めることが羨ましくも思えました。


私は比較的大きな電機メーカーでお世話になっています。

会社で作られるプロダクトに自分のサインや意匠を入れるなんて、まぁありえないです。

その分、製品が売れないときに自分が否定されているのではないと思わなくてすみます。

売れなくてもあまり気にならないですね。(いや、給与的には危ないですが・・・)

でも、これっていいのでしょうか?



仕事をするというのは社会とつながることも意味します。

作った製品はその接点の最たるものです。

その接点に自分の思い入れが無いというのは、おかしいような気がする。

強く言うと、無駄なことをしているような気がするのです。

Anonymousが進みすぎて、

作り手も使い手もお互いに繋がらない、空疎なゲームをしているのではないかと思うのです。

もう少し、作り手も使い手もお互い顔が見えるような仕事が大事になるんじゃないか。

そんな事を考えています。

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